製造業などの最終財メーカーにとって、安定かつ競争的な調達環境の確保は収益性の根幹をなします。しかし現実には、サプライヤーが複数存在するにもかかわらず、価格競争が機能せず、見積もり価格が横並びになるケースが散見されます。こうした状況の背景には、サプライヤー間における暗黙の共謀が存在しています。
本稿では、調達側企業が主体的にこの共謀構造を崩し、価格競争を再び機能させるために取り得る戦略的介入について、ゲーム理論の視点から実務的に検討します。
暗黙の共謀と利得の比較構造
サプライヤー間の共謀とは、明示的な合意がなくとも、互いに価格を下げないという黙示的な協調関係のことを指します。この構造は、取引が一度きりではなく、繰り返し行われることによって成立します。
サプライヤーは、以下の2つを常に比較しています:
- 協調(共謀)を維持することで将来的に得られる継続的な利得
- 今期、協調を破って価格を下げることで得られる一時的な利得
協調を破った場合、短期的には受注増などで利益を得られるかもしれませんが、その行動が他社に察知されると、将来にわたり価格競争が始まり、業界全体として利益が減少する懸念があります。そのため、長期的な利得の方が高いと判断される限り、各サプライヤーは協調を続けるインセンティブを持ちます。
この利得の比較構造こそが、共謀状態を支える基本メカニズムです。
共謀均衡を崩す調達側の2つの戦略的介入
調達企業がこの共謀構造を崩すには、サプライヤーの意思決定において「共謀を続けることが最適でない」と判断させる必要があります。すなわち、利得構造そのものに介入することが有効です。以下に、実行可能な2つのアプローチを紹介します。
1. 今期に限った利得機会を提示する
サプライヤーが共謀を破る決断を下すには、「今期、価格を下げて受注することで得られる利得」が、将来の協調による利得を上回る必要があります。この状況を意図的に作るために、調達側が「今期に限定された大口発注」を提示する戦略が有効です。
たとえば:
- 製品切替に伴う最終ロットの一括発注
- 期末の予算消化による例外的な集中調達
- 初期ロットのみの特別価格による限定案件
重要なのは、これがあくまで一度限りであるというメッセージを明確に伝えることです。そうすることで、サプライヤーは「今回だけは価格を下げてでも受注すべき」と判断する可能性が高まり、共謀的行動からの逸脱が誘発されます。
これは、ゲーム理論における「短期利得の突発的増加」によってナッシュ均衡を崩す戦略と整合的です。
2. 将来の市場縮小リスクをほのめかす
もうひとつの戦略は、サプライヤーが期待する将来利得の安定性に揺さぶりをかけることです。特に効果的なのは、調達対象品目の需要が今後縮小する可能性を示唆することです。
たとえば:
- 製品仕様変更により部品点数が削減される見通しがある
- 内製化や他方式による代替調達を検討している
- 業界全体としての需要が構造的に縮小している
このような情報を供給側に伝えることで、サプライヤーは「協調を守っても、将来その利得自体が想定より小さくなるかもしれない」と考えます。結果として、今期の利得を優先する戦略に切り替える動機が生まれ、共謀状態が崩れる可能性が高まります。
実務への応用:情報設計としての介入
これらの戦略は、調達価格を直接引き下げる交渉ではなく、供給側の行動期待に対する構造的な働きかけです。調達部門が実務として導入できる具体策としては:
- 今期限定であることを明記したRFP(発注仕様書)の発行
- 調達計画の将来部分をあえて曖昧に示し、予測可能性を下げる
- サプライヤー向け説明会で、製品構成変更や調達方針変更の可能性を示唆する
これにより、供給側は将来にわたる利益が不確実であることを認識し、現在の行動を見直す余地が生まれます。
結論:競争環境は交渉ではなく設計によって取り戻す
サプライヤー市場における共謀構造は、調達企業にとってコスト削減の障害であり、柔軟性の制約ともなります。これを崩すには、個別の価格交渉では不十分であり、サプライヤーの利得構造に戦略的に介入することが必要です。
今期に限った利得機会を明示的に提供し、将来利得への期待を調整する。この2つの施策により、供給側の合理的判断を動かし、競争的行動を引き出すことが可能になります。
市場の競争状態を回復させるのは、自然な変化ではなく、企業による戦略的設計です。調達部門の高度な役割とは、まさにこの「競争の再構築」を担うことに他なりません。
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