■ はじめに:なぜ価格が戦略になるのか?
私たちが新しいレストランやアプリ、サービスに出会うとき、多くは「使ってみないと分からない」。これは経済学で言う「経験財」と呼ばれるタイプの商品です。味や使いやすさ、効果といった要素は、購入前には分かりにくく、実際に使用して初めて明らかになります。
このような商品を販売する企業にとって、価格は単なる「売値」ではありません。商品そのものに関する情報を伝えるための戦略的な手段となるのです。
■ 経験財と「情報の束」
カリフォルニア大学バークレー校の経済学者、Carl Shapiroは1983年の論文で、経験財に対する最適な価格戦略を理論的に分析しました。彼の分析のキーポイントはこうです:
「価格は、品質に関する情報と一緒に“束ねられて”いる」
つまり、価格をどう設定するかによって、企業は消費者に「うちの商品は良いですよ」という間接的なメッセージを伝えることができるのです。
■ 2つのシナリオ:評判と現実のズレ
Shapiroは特に、「企業の評判(消費者の期待)」と「実際の品質」が一致しない場合を考えました。すると価格戦略は大きく2つの方向に分かれます。
【1】評判より品質が高いとき(悲観的ケース)
例:隠れた名店や、高品質だけど無名の新商品
この場合、消費者は実際より低く評価しており、そのままでは試してくれません。企業はこの情報ギャップを埋めるために、次のような戦略をとります:
- 初期価格を低く設定して、まずは「使ってもらう」
- 消費者が品質を実感した後は、価格を引き上げて正当な利益を回収
この「2段階価格戦略」が最も合理的です。
導入価格 → 本来の価格というステップを踏むことで、企業は評判を“育て”、顧客基盤を築くのです。
【2】評判より品質が低いとき(楽観的ケース)
例:広告で期待値が高まりすぎた商品
逆に、消費者が過大な期待を抱いていると、企業はその「誤解された評判」を慎重に活用します。
- 最初は高価格で販売し、評判を“搾り取る”
- 徐々に価格を下げながら実際の品質に見合う販売へと調整
この戦略をShapiroは「評判のミルキング(搾取)」と表現しました。
興味深いのは、しばしばこの戦略によって一時的に本来より多くの人が購入する(=一時的な社会的利益)という点です。
■ なぜこの理論が重要なのか?
この分析は、単に価格を高くすれば儲かるとか、安ければ売れるという話ではありません。価格が“信号”として機能するという点が革新的です。
企業は、価格を使って次のような目的を同時に果たそうとします:
- 利潤の最大化(短期と長期のバランス)
- 消費者への情報伝達(品質を体験させる)
- 評判の構築と維持
■ 現代への応用:SaaS、フリーミアム、D2C
この理論は1983年のものですが、むしろ今の時代にこそ多くの応用があります。
- SaaS(ソフトウェア)企業の「無料トライアル → 有料プラン」
- D2C(ダイレクト販売)ブランドの「初回限定価格」
- サブスクリプションサービスの「初月無料」
- フリーミアム戦略:無料ユーザーに体験させ、有料へ移行
これらはすべて、**「使ってもらえば分かる」**という自信と、「最初の評判」を価格で補うというShapiro理論の実践例です。
■ まとめ:価格はメッセージである
Carl Shapiroの経験財モデルは、価格戦略が単なる利益計算ではなく、情報戦略であり、評判形成の手段であり、長期的ブランド価値構築の鍵であることを教えてくれます。
新しい商品やサービスを売るとき、「この価格は何を伝えるか?」という問いに立ち返ること。それが、今でも変わらぬ価格戦略の本質です。
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