参考論文
DeGraba, P. (1995). Buying frenzies and seller-induced excess demand. The RAND Journal of Economics, 26(2), 331–342.
はじめに
マーケティングや価格戦略において「過剰需要」は、しばしば製品人気の象徴として語られます。DeGraba, P. (1995)は、これは「意図的に仕組まれた戦略」である可能性があると示しました。
企業は供給を意図的に制限し、また商品情報の公開を制限しながら「今買わなければ手に入らない」という希少性を演出することで、消費者に早期購入を促し、高価格での販売を実現できます。本記事では、具体的事例を用いながら、「買い急ぎ(buying frenzy)」戦略の仕組みと、その戦略的示唆について紹介します。
顧客の「無知」を戦略に変えるメカニズム
以下の条件下で、企業がある新商品のゲーム機を販売する状況を考えます。
- 市場には100人の顧客が存在し、各自が1つの商品を欲しがっています。
- 商品の価値は人によって異なり、50人が「1ドル」と評価し、残りの50人は「0.60ドル」と評価します。
- しかし、一定の時間が経つまでは、全員が自分の本当の評価を知らず、平均値である「0.80ドル」を新ゲーム機から得られる効用の期待値として想定している状況です。
通常の市場均衡と利益
通常であれば、顧客が自分の評価を知った後に購入を判断するため、企業は0.60ドルで全員に販売するしかありません。その場合、企業の利益は
- 100人 × 0.60ドル = 60ドル になります。
「買い急ぎ戦略」による収益最大化
ここで企業が「99個しか生産しない」と発表し、価格を0.79ドルに設定するとどうなるでしょうか?
- 顧客は「情報を得てから買おう」と思っても、自分以外の顧客全員が購入してしまうと在庫がなくなるため、待っていれば在庫がなくなるかもしれないと考えます。
- 全ての顧客にとって、ゲーム機から得られる期待効用は0.8ドルです。消費者はリスク中立的と仮定すると、全員が0.79ドルで先に買おうとする「買い急ぎ均衡」が成立します。
企業の利益は、99個 × 0.79ドル = 78.21ドル となります。
これは、通常の60ドルより高い利益を実現する結果となります。
企業としては、商品情報の公開をある程度制限し、販売量を需要数よりも少し少なくすることにコミットメントして買い急ぎを促すことで、利益を大きくすることができるのです。自分にとって新商品の価値が高いかもしれない(1ドルの価値があるかもしれない)という消費者の期待から、ある種の消費者余剰を作り出し、うまく引き出すことができるということです。
ケース:戦略的に作られた過剰需要
任天堂(1989年)
『スーパーマリオブラザーズ』のゲームカートリッジが大人気となり、供給不足が発生しました。この「在庫切れ」は偶然ではなく、「消費者の関心と価格を維持するための戦略的な供給不足」と指摘されています。実際、任天堂は「需要が4,300万本と予測されていたが、生産目標は4,000万本」と述べており、あえて7.5%の供給不足を作り出していたのです。
マツダ(Miata)
1989年に登場した「ミアータ」は、市場投入直後から需要が生産を上回り、希望小売価格の20%増しで販売される状況が発生しました。マツダは後に価格統制に動きましたが、この初期の需要ギャップは明らかに戦略的な効果を発揮していました。
ディズニー(Fantasia & Pinocchio)
ディズニーは家庭用ビデオ市場において、「期間限定販売」と称し、ビデオカセットが一定期間後に販売終了となることを強調しました。これにより、「今買わなければ次は10年後」というプレッシャーを消費者に与え、販売初期に大きな売上を確保しています。
戦略的インプリケーション
この戦略から得られる実務的な示唆は以下のとおりです:
- ①顧客の情報取得を先延ばしにすることがカギです。顧客が「自分にとってこの商品が本当に必要か」理解する前に購買行動を引き起こすことが重要です。
- ②供給制限は、戦略的に設計された信号として機能します。「数量限定」「先着順」などの仕掛けは、顧客の行動を大きく変化させます。
- ③「買い急ぎ」は一度しか起こらない可能性があります。製品の価値に関する情報が一度市場に広がると、同じ戦略は二度と通用しないかもしれません。
- ④耐久財や新製品など、情報が未成熟な商品で特に効果的です。逆に、繰り返し購入される日用品ではこの戦略は難しいでしょう。
おわりに
DeGraba, P. (1995)の提唱する理論は、企業が「情報の非対称性」と「供給制限」によって、顧客の行動を戦略的に操作できることを明らかにしました。買い急ぎ均衡は、顧客が合理的であっても、他人の行動への期待によって非合理なタイミングで購入してしまう心理メカニズムに依存しています。 「供給不足」は戦略であり、顧客の無知や不安を冷静に見据えた、極めて巧妙なマーケティング手段なのです。自分にとって新商品の価値が高いかもしれない、という消費者の期待から、ある種の消費者余剰を作って、それを金銭に変換する戦略と言うことができるでしょう。
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