はじめに
企業は、商品を販売する際に以下のようなジレンマに直面します。それは、その商品に払ってもよい考えるお金(支払意思額)が高い層から高いお金を取りたいと思う一方で、支払意思額の低い人も顧客層に取り込みたいというものです。企業が顧客一人ひとりの「支払意思額(Willingness to Pay, WTP)」を事前に知ることは困難です。しかし、顧客ごとに支払える金額が異なること自体は確実に存在します。
このとき、Chiang & Spatt(1982)が提案したのが、「サービスに“不便なもの”を組み込むことで、顧客が自ら価格を選択する構造=自己選別メカニズム」です。一般的には、「商品サービス」から不便なものを排除するべきだとされていますが、むしろあえて「不便なもの」をオプションに加えることで、利益を大きくできます。
そして、この仕組みが機能する鍵は以下の経済的法則にあります:
WTPが高い人ほど、“不便なもの”に対する金銭換算コストが大きく、WTPが低い人ほどそのコストが小さい。
1. 「不便なもの」を利用する価格設計の仕組み
ここでいう「不便なもの」とは、消費者にとって望ましくない属性のことを指します。たとえば:
- 長い待ち時間
- 遠くの店舗までの移動
- 面倒な手続きや組み立て作業
- キャンセル不可、制約条件付き
これらを商品やサービスにあえて組み込んだサービスをオプションとして提示することで、企業は価格以外の軸で価値を調整します。
金銭換算コストの差が市場を分離する
Chiang & Spattの理論で最も重要なのが、次のような時間や不便に対する評価の違いです:
■ 高いWTPを持つ人:
- 時間が貴重であり、少しの待ち時間も「大きな損失」と感じる
- 「不便なもの」に対する金銭換算コストが高い(例:1時間の待ち時間が2,000円に相当)
■ 低いWTPを持つ人:
- 時間に余裕があり、多少の不便は気にならない
- 「不便なもの」に対する金銭換算コストが低い(例:1時間の待ち時間が200円に相当)
この差を利用して、「不便なもの」をオプション化すると、顧客は自ら自分に合った価格帯の契約を選びます。
なぜ利益が最大化できるのか?
この戦略によって、企業は以下のようにして収益を最大化できます。
(1) 高WTP層には「不便なもの」を避ける高価格プランを用意
- 不便に高いコストを感じる層は、多少高くても快適なプランを選びます。
- → 値引きせずに販売でき、利益率が高まります。
(2) 低WTP層には「不便なもの」を条件に安価なプランを提供
- 不便を気にしない層は、価格の安さを優先して不便を受け入れます。
- → 本来なら取りこぼしていた顧客層を収益化できます。
(3) 価格差に対する納得感が高い
- 「安いから不便なのは当然」と受け取られるため、価格差に対する心理的抵抗が少ないです。
実例:不便さで価格を分けるビジネス
【航空業界】
- ビジネスクラス:快適・即時・高価格(=時間価値の高い層)
- エコノミー:制約・長時間・低価格(=価格に敏感な層)
→ 時間の“悪さ”を選ばせることで自然に市場が分離されています。
【オンライン学習】
- リアルタイム講義(即時性、質問可能):高価格
- 録画受講(タイムラグ、質問不可):低価格
→ ここでも、「時間と利便性」という悪いものが価格に反映されています。
戦略的示唆
戦略論では「差別化」が鍵ですが、それは何も商品の機能や性能だけではありません。「不便さの程度をどう設計するか」も、れっきとした戦略要素です。
一般的には、「不便さ、手間、待機、制限」などの「不便益なもの」は排除すべきと思われていることが多いはずです。ですが、この「不便益」をあえて販売オプションの中の一つに組み込むことで、自己選択メカニズムを通じて価格差別を行うことができるのです。不便さを活用することで、企業は顧客の支払意思額に応じて価格を分けることができ、情報の壁を越えて利益を最大化できるのです。
- 「不便なもの」は、市場を分けるスクリーニングツールになります。
- 支払意思額の差があるにもかかわらず、価格を一本化すると、取りこぼしや過剰な値引きで利益を失うことになります。
不便という「非金銭的なコスト」を使うことで、企業は自然な形で価格を分け、より多くの層を取り込みつつ、WTPに応じた利益を引き出すことができるのです。つまり、支払意思額の高い顧客からは高い価格を引き出すと同時に、不便さがある一方で格安なオプションを通じて幅広い顧客を獲得できるということです。
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