株式会社エコノミクス&ストラテジー

バイヤーの分断と調整失敗による参入阻止戦略

参考論文

Segal, I. R., & Whinston, M. D. (2000). Naked Exclusion: Comment. American Economic Review, 90(1), 296–309. ​

Fumagalli, Chiara, and Massimo Motta. “Buyers’ Miscoordination, Entry and Downstream Competition.” The Economic Journal 118, no. 531 (2008): 1196–1222


はじめに

企業が市場での支配力を維持するためには、競争相手の新規参入を防ぐことが重要です。一方で、買い手に対し自社との独占的な取引を強制ないし半強制するような、排他的契約は独占禁止法により規制されています。ここでは、独占禁止法上直接の規制対象にならないであろう、参入障壁の築き方を紹介します。それは買い手間の「調整失敗(miscoordination)」*という、より巧妙かつ構造的な方法です。バイヤー同士が足並みを揃えられないことを利用して参入を阻止する方法です。Fumagalli & Motta(2006)は、バイヤー(買い手)が多数存在し、かつそれぞれが独立して仕入れ先を選ぶ状況では、新規参入者が既存企業よりも効率的であっても市場に参入できない可能性があることを指摘しています。重要なのは、そのような潜在的参入者の存在を各買い手が知っていたとしても、買い手の行動により参入を阻止できる可能性があるということです。


モデル


ある市場を、既存企業が独占していて、同時に潜在的な新規参入社が存在している状況を考えます。前提として新規参入者は、ある一定数以上の顧客を得ることができないと採算が取れず参入ができないとします。

この時既存企業は、各買い手に対し、長期契約を提示し、結ぶか結ばないかを選択させます。長期契約を結ぶ場合には、長期契約をしない場合と比べて少しだけ(t円だけ)安くすると提示します。新規参入者は、どれくらいの買い手が既存企業と長期契約を結んだかを把握してから、参入するか決めるとします。既存企業と長期契約を結んでいる買い手を、新規参入企業は顧客とすることはできません。そして、長期契約を結んだ買い手の割合が一定数以上だと、採算が取れないため参入は行われなくなります。

ここで買い手としては、以下のジレンマに直面します。
①自分が長期契約を結んだ場合、より安い参入者がもし将来参入してきた時にそこから購入できないという機会損失が発生する。
②長期契約を結ばなかった場合、もし将来参入が起きなかった時、(t円)分損をするという機会損失が発生する

この時、各買い手は以下のようなコーディネーション問題に直面することになります。
すなわち、他の買い手の多くが長期契約を結んだ場合、参入が起きないため自分も長期契約を結ぶのが合理的になる一方で、他の買い手の多くが長期契約を結ばなかった場合、参入が起きるため自分も長期契約を結ばないことが合理的になる、というコーディネーションゲームです。


戦略的示唆

この時、新規参入を阻止したい既存企業としては、「各買い手に、他の買い手は長期契約を結ぶだろうと予想させる」ことで、仮に割引額tの値が微小であっても、新規参入企業の生産が効率的だったとしても、参入を阻止することができるのです。買い手の共有予想を操作することで参入を阻止する、という戦略です。

複数の買い手が独立に判断する場合、「自分一人が長期契約を結ばずに参入者を待っても、他のバイヤーが動かない限り十分な規模を確保できず、供給されないだろう」と判断して、結局誰も新規参入者を待たない、という「調整失敗」が起き得るのです。それを既存企業は利用できます。重要なのは、効率的な潜在的参入者の存在をすべての買い手が知っていたとしても、彼らが長期契約を自発的に結ぶよう仕向けて参入を阻止することが理論的には可能ということです。このような、個々人の意思決定が全体(ここでは買い手全体)にとって悪い結果をもたらすことを、合成の誤謬と呼びます。

ゲーム理論的に言うと、買い手の多くが長期契約を結ぶという均衡を、フォーカルポイントにするような戦略を既存企業は検討するのが良いでしょう。


独占禁止法

買い手に自社と取引する用強制するわけでなく、長期契約にしたら少し安くなる、というオプションを提示するだけなので、排他的契約とみなされず、独占禁止法の目をかいくぐれる可能性が高いです。


まとめ

既存企業は、このような買い手間のコーディネーションの失敗を利用して参入を阻止することができます。長期契約を結んだ際の割引額tは、理論上極小でも機能します。つまり、買い手の予想さえ操作してしまえば、小さなコストで参入を阻止することができるのです。参入は起きない、と買い手に予想させて長期契約を結ばせることで、本当に参入を抑止できるのです。このような買い手の共有予想を操作する戦略は、注目に値するでしょう。驚くべきことは、既存企業よりも安く供給してくれる潜在的参入者の存在をすべての買い手が知っていたとしても、彼らが自発的に既存企業と長期契約を結んでしまい、参入が阻止されるということが起こるということです。

買い手の心理と構造を利用するこの戦略は曖昧さの中で、合法的に機能するグレーゾーン戦略として現実的です。

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