参考論文
Farrell, J., & Shapiro, C. (1988). Dynamic Competition with Switching Costs. The RAND Journal of Economics, 19(1), 123–137.
はじめに
多くの企業は、サブスクリプションモデルなどを通じてスイッチングコスト(乗り換えコスト)を高く設定し、顧客が他社に流出しないようにしています。スイッチングコストは、競争における重要な参入障壁とされており、この点についてはマイケル・ポーター教授も「参入障壁はスイッチングコストによって築かれる」と説いています。新規参入を考えている企業にとって、参入先の既存企業が顧客を囲い込んでいたら、勝ち目がないと考えることが多いと思います。
この通説に一石を投じたのが、Farrell, J., & Shapiro, C. (1988) の論文 “Dynamic Competition with Switching Costs” です。
この論文では、「ある条件下では、既存企業がスイッチングコストによって顧客を囲い込んでいることが、むしろ新規参入企業の利益を増やし、参入を促進する可能性がある」と論じられています。すなわち、既存企業が築いた高いスイッチングコストが、逆に新規参入者にとって有利に働くという、従来の理解とは異なる見方を提示しているのです。
スイッチングコストが参入を促進する
既存企業が高いスイッチングコストで顧客を囲い込んでいることが、新規参入を招くための条件とは、「新規の顧客の流入が多い成長市場である」というものです。
単純化のために、既存企業と新規参入企業の提供する商品が全く同質であると仮定します。新規参入企業は、もし既存企業が既存顧客をスイッチングコストで囲い込んでいる時、既存企業よりもある程度低い価格を提示することで、理論的には新たに流入してきた顧客をすべて取り込むことができます。
既存企業がスイッチングコストで既存顧客を囲い込んでいない時と、囲い込んでいる時を比較します。
囲い込んでいない時、新規参入の存在は既存にとって大きな脅威です。新規参入企業が少し価格を低くするだけで、既存顧客を奪われてしまうからです。そのため、新規参入企業に対して積極的に価格攻撃をするはずです。新規参入企業としては、一般的には既存企業よりコスト不利なので参入による収益が小さくなります。既存企業による値下げ攻撃の脅威が大きくなるのです。
一方で、既存企業が既存顧客を囲い込んでいる時はどうでしょうか。新規参入の存在は、囲い込んでいる既存顧客からの需要を脅かしません。もし参入されても、既存顧客を確実に維持することができます。そのため、もし参入を阻止しようと値下げ攻撃を行うと、既存企業としては既存顧客からの潜在的な利益を失ってしまうことになります。この機会費用が留保価値として作用し、既存企業の値下げインセンティブを小さくするのです。結果として、新規参入企業は、確かに既存顧客を奪うことはできませんが、既存企業よりもやや低い価格(それでも高い価格)を設定することで、新規で流入してきた顧客を確実に取り込むことができます。重要なのは、既存企業が価格競争をしてくる可能性が低くなるということです。
つまり、既存企業が顧客を囲い込んでいるほど、既存企業がジレンマに直面するようになり、新規参入への価格攻撃の脅しが弱くなるのです。
戦略的示唆
新規参入企業としては、新規で流入してくる客が多い成長市場であり、なおかつ既存企業が高いスイッチングコストで顧客を囲い込んでいる場合、参入のチャンスとなるのです。既存企業の顧客を奪うことはできませんが、新たに流入してくる顧客を、価格競争に巻き込まれずに獲得することができる可能性が高くなるのです。
既存企業がスイッチングコストで顧客を囲い込んでいればいるほど、値下げ攻撃の脅威が弱まり、参入したときの利益を大きくできる可能性があります。
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